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松平忠昭 (大給松平家) : ミニ英和和英辞書
松平忠昭 (大給松平家)[まつだいら ただあき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [きゅう]
  1. (n-suf) wage 2. gift 
平家 : [へいけ]
 (n) the Taira (Heike) family
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

松平忠昭 (大給松平家) : ウィキペディア日本語版
松平忠昭 (大給松平家)[まつだいら ただあき]

松平 忠昭(まつだいら ただあき / ただてる)は、丹波亀山藩の第2代藩主、豊後亀川藩主、豊後中津留藩主、豊後高松藩主、豊後府内藩初代藩主。一生系大給松平家3代。

== 生涯 ==
元和3年(1617年)11月25日、亀山藩初代藩主・松平成重の次男として生まれる。兄・勝広が寛永8年(1631年)12月に没したため嫡子となった。寛永10年(1633年)、父の死去により家督を継いで亀山藩の第2代藩主となる。
寛永11年(1634年)、豊後亀川に移封され、寛永12年(1635年)に豊後中津留へ移封される。寛永19年(1642年)に豊後高松へ移され、明暦4年(1658年)2月24日、豊後府内へ2万2,200石で入ることでようやく定着した。
寛永14年(1637年)、島原の乱においては富岡城の守備を務めた。府内藩の藩政を確立するため、社寺に所領を寄進してその関係を親密にしたり、商人の力を借りて新田開発を行なうなどしているが、藩営ではなく商人の力を借りているところから、すでに藩としての財政基盤の脆弱さを露呈していた。
延宝4年(1676年)3月27日、長男・近陳に家督を譲って隠居し、元禄6年(1693年)9月12日に死去した。享年77。






抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平忠昭 (大給松平家)」の詳細全文を読む




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